
第5回テツドクレポート 「神への愛」ーアリストテレスの論理学と逆説論理学
参加者6名により、部分的な輪読と対話を合わせて行いました。
テキスト:『愛するということ』エーリッヒ・フロム著 鈴木晶訳 紀伊国屋書店出版 1991
第2章 愛の理論 e神への愛111ページからを範囲としました。
前回の範囲より
フロムが理想とする姿は以下のものでした。
自分が神について何も知らないと承知している人にとって、神は、精神世界、愛、真実、正義の象徴であり、その人はこれらの原理を愛する。すなわち、真理について思索し、身をもって愛と正義を生きようとする。
さて、フロムは神について肯定的に語ることができないと述べて来ましたが、ここからさらに話を展開します。彼は、「思考を重視する立場」より「正しい行い(一体感の経験)」こそが、正しい神への愛と考えるようです。
ここで、アリストテレスの論理学と逆説論理学の比較が持ち出されました。
●アリストテレスの論理学・・・矛盾を許さない
同一律:Aは非Aではない
矛盾律:AはAであると同時に、非Aであることはできないし、Aでないと同時に非Aでもないということはありえない。
●逆説論理学・・・アリストテレスの論理学の対極にある
Xは、Aであると同時に非Aでもある。
今回最初の議題は次のようなものです。
問い:なぜ、アリストテレスは、言うまでもないほど当たり前すぎる同一律や矛盾律をわざわざ論理学の原理として述べたのでしょう。
参加者の意見
・ 当たり前のように思うのだけれども、当たり前ではないから、あえて原理として打ち出す必要があったのではないか。
・ 何かを積み上げていくために、確かな基礎土台が必要であるから。まず、積み上げるもののために、基礎をはっきりとしておく必要がある。
・ ある人がXについてAが正しいと言う。また別の人は、Aは間違いでXはBだと言う。「意見の相違・答えは人それぞれ」と、何でもありにしてしまってはいけない。だから、同一律と矛盾律を論理学の原理として言わなければならないのでは。
・ 逆説論理学について古くはアリストテレスより前の哲学者ヘラクレイトスが述べている。このように逆説をよしとする人々もあったので、論理学の原理として打ち出すことは、そのほかのあり方への批判も含んでいた。
本書の中で、フロムがアリストテレスの論理学と逆説論理学を比較した文脈を要約してご紹介しておきます。
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