文学カフェ詩のサロン

​哲学読書会

​Since 2016~

みんなで哲学に関する書物を読み進めます。

​今まで哲学に触れたことのない人も、哲学に興味はあるけれども一人でテキストを読むには自信がない、という方も歓迎いたします。

著者の思索をなるべく正確に読み解きながら、そのまま鵜呑みにするのではなく、再検討してみることを大切にします。

どこに著者の主要な主張があるかを見つけられるようになりましょう。

次に、著者の主張を支える根拠が書かれているかどうかを探して見ましょう!

そして、内容についても立ち止まって熟考して見ましょう。

12月22日『中動態の世界』9章を読む

最終章となった今回は、『中動態の世界』の読書会の最終日となりました。参加者は9名でした。 この章は、中動態の検討を通じて行為や意志や責任といった概念を問い直すための最終章です。これらの概念のもつ問題の根深さを再確認するために、本章では一つの物語が紹介されていました。その物語は、アメリカの作家メルヴィルの遺作『ビリー・バッド』です。 今回の読書会は、このビリーバッドの物語を含めて、プリントを輪読しながら進めました。 物語の中では、ビリーとクラッガート、艦長ヴィアの「思う様に行動できない」3人3様の姿が描かれていました。 彼らは、身体・気質、感情・人生、歴史・社会から、完全に切り離されて行為することはできません。私たちもまた彼らと同様にそれらから必ず制約を受けるため、完全な自由ではいられらません。 ビリーとクラッガート、ヴィア艦長は、日常のなかで生きている私たちをも映し出す存在である、とテキストでは指摘しています。私たちは、完全な自由にはなれないのです。 この章では、この物語についてのアーレントの読解も書かれていました。アーレントの読解は、少し難解に思われ、参加者同士の対話の焦点にもなりました。 「アーレントは、『ビリー・バッド』がフランス革命に影響を与えた哲学者ルソーや実際の革命の指導者であるロベスピエールらの思想の盲点を鋭くえぐり出す作品であるとして言及する」とあり、徳と善を混同してはならないと語っています。 彼女は、善がビリーであり、悪をクラッガートに、ヴィア艦長の人格を通して表現されているものを「徳」として解釈します。 私たちは、普段、徳と善を混同して語ることが多いような気

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