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11月24日『中動態の世界』8章を読む

中動態の世界8章レポート

2018.12.17 すぎはらあやの


11名の皆様のご参加ありがとうございます。


8章は、中動態の根幹とも言えるスピノザの議論について論じられていた章だったと思います。


章の前半では、スピノザが文法研究そのものに対して強い関心を抱いていたことがわかりました。そして、「行為する者と行為を受ける者が一つの同じ人物である場合がある」として、動詞の六つ目の基本のカテゴリーとは別に七つ目のカテゴリーに注目していました。

 この七つ目のカテゴリーこそ、スピノザ哲学においてはお馴染みの概念「内在原因」と深く結びついています。


 スピノザは神なる実体とはこの宇宙あるいは自然そのものに他ならず、そうした実体があるのだが、そうした実体が様々な仕方で「変状」したものとして万物は存在していると考えた。すなわち、あらゆるものは、神の一部であり、また神の内にある、と。したがって、神は万物の原因という意味では作用を及ぼすわけだが、その作用は神の内に留まる。神は作用するが、その作用は神以外の何ものにも届かない。それは確かに「動詞七つめの形態」でこそ表現される事態である。(pp.236-237)



スピノザは、「中動態」という単語を用いたことはないが、彼の思想の中に、中動態を見て取ることができると國分さんは主張しています。






 そしてこの「内在原因」というスピノザ哲学から、神の外には何もないので、神に影響や刺激を与えるものはないことはわかります。しかし、そのなかにある様態の一つである私たちは、違います。様態同士が互いに影響を受けたり与えたりしながら、影響い、変状してゆくことが言われています。